【異郷幻灯】04.マルタ島——川野里子

異郷幻灯

旅先で訪れた町や、行ったことはないのになぜか心惹かれる場所、また、旅を詠った詩歌について……。
そんな、心の中にある「異郷」をテーマに、自由な切り口からエッセイを書いていただくリレーエッセイ企画、第四回は歌人の川野里子さんです。

 

 今、これを書いているのは2020年3月19日。新型コロナウィルスの拡大のため世界が鎖国状態にあり、あちこちの都市が封鎖されている。あらためて「異国」という言葉を思う時、それが以前とは全く違う響きを持っていることに気づかずにいられない。「異国」は私にとって、そして多くの人々にとって憧れを纏った言葉であり、島国である日本にとって「異国」こそ新しいものがやってくる未知の世界であり続けた。しかし、今、「異国」という言葉は古い城門の厚い扉となって私たちの前に聳え、この門は自在に往き来できるものではないことを思い知らせている。着の身着のままで生きるために門を叩き続け、この門がいかに堅固で非情なものであるかを、世界中に溢れる難民達は嫌というほど知っているというのに。「異国」というエキゾチズムは豊かで平和な国にたまたま生まれた私たちに許された幻想にすぎなかったのだろうか?
 私が「異国」のあらたな意味を痛感したのはマルタ島である。この地中海に浮かぶ島は生涯忘れられない場所になってしまった。
 2011年3月10日、マルタ島の旧市街バレッタに着いた。宿に荷物を収めると早速聖ヨハネ大聖堂に向かった。カラヴァッジョに会うためである。この聖堂には「洗礼者ヨハネの斬首」と「執筆する聖ヒエロニムス」がある。この旅はカラヴァッジョを見るためと決め、ローマを巡り歩いた後だった。カラヴァッジョの本物を見た人は誰でも絵が驚くほど鮮やかな色彩を保っていることに驚くだろう。教会の壁一面に描かれた大作「洗礼者ヨハネの斬首」は、生々しい鮮血を流し人間のボリュームとエネルギーとが迫ってくる。しかし私が会いたかったのは「執筆する聖ヒエロニムス」だ。小暗い画面に机に向かう老人がおり、その机には骸骨がある。死へと向かう老人の細かい皺や知性の感じられる白髪の禿頭、そして手。私は老人の細かい皺やシミや浮き出た血管の描き込まれた手に見入った。こんな手が描けるのは宮廷画家ではない。カラヴァッジョは、市井の人間として泥と汗にまみれて生き、人殺しさえして人間をつぶさに知っていた。汗臭く、血を流し、涙をこぼし、乾いた皮膚に染み込んだ泥を見ていた。実物であってこそ知ることのできる手の細部。やっと逢えた、と思うと涙が込み上げた。マルタ島にいる間にいつでもまた来ることができる、何度でも逢おう、そう思って教会を後にした。
 2011年3月11日。朝から抜けるような快晴。海の青さと空の青さが反射し合って島は浮き上がるような鮮明な色合いに包まれている。バレッタの狭い路地を抜け、海に面した要塞に腰掛けてジェラートを食べ、これが自由だと思う。その時、携帯にメールが入った。「今、大きな地震。横浜駅のホームで電車とホームがぶつかってる。僕は無事」、息子からだ。ただ事ではない、と思う。息子が自分からメールをくれることなどなかったからだ。早速あちこちにメールをし、原発が危ないらしいとの情報を受ける。夫の実家は福島だ。イタリアの友人はこちらに家族を呼び寄せるよう用意をしてくれるという。翌12日午後。ひとまずローマに帰り、情報収集をすることにして飛行機の出発時刻を待っていると、ホテルのロビーでどよめきが起こる。テレビ画面一杯に一号機の原子炉建屋が爆発した映像が映し出されていた。私が日本人だとわかると、抱き締める人、口を覆い、驚きの眼差しを投げかける人、どよめきの真ん中に突っ立つことになった。しかし、この時、福島中央テレビが映していた映像は世界に発信されたのにNNN以外の国内放送局では放映されなかった。日本は孤島となって世界の注視のなかにあった。私は「ジャポネ、ジャポネ」という囁きを背中に聞きながらイタリアを追われるように出た。
 あれ以来、「執筆する聖ヒエロニムス」には会っていない。聖ヨハネ大聖堂はホテルのすぐそばでいつでも行けるはずだったのに。今は途方もなく遠い場所となってしまっている。

◇川野里子(かわの さとこ)
1959年大分県生まれ。千葉大学大学院修士課程修了。山形県、カリフォルニアなどを移り住みつつ作歌、評論、エッセイを書く。歌集に『太陽の壺』(第13回河野愛子賞)、『王者の道』(第15回若山牧水賞)。『硝子の島』(第10回小野市詩歌文学賞)、『歓待』(第71回讀賣文学賞)など。評論集に『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』(第6回葛原妙子賞)、『七十年の孤独-戦後短歌からの問い』(書肆侃侃房)、『鑑賞 葛原妙子』(笠間書院)など。
読売新聞西部歌壇、日本農業新聞選者など。立正大学、放送大学非常勤講師。平成20年度、21年度NHK教育放送「NHK短歌」選者。

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