【異郷幻灯】03.馬山——山崎聡子

異郷幻灯

旅先で訪れた町や、行ったことはないのになぜか心惹かれる場所、また、旅を詠った詩歌について……。
そんな、心の中にある「異郷」をテーマに、自由な切り口からエッセイを書いていただくリレーエッセイ企画、第三回は歌人の山崎聡子さんです。

 たぶんもう絶対に行かない町のことを思うのは、なんて苦いんだろう。二十歳前後のころ、やたらと韓国に渡航していたことがある。留学先で韓国人の恋人ができて、一年ほどをお互いの国を行き来して会っていた期間があったからだ。LCCがなかった当時でも韓国行きの航空券は比較的安く買えたから、大学生の身分でもなんとかアルバイトでお金を工面することができた。私はバックパックに適当な荷物だけを詰めて何度かその国に行ったのだ。

 彼は釜山から車で一時間ほどの、馬山(マサン)という町の出身だった。はじめてその町に行ったとき、坂道に沿ってだんだん状に連なる家並みと、町のどこからでも海が見渡せることに感激したのを覚えている。夜になると飲食店のネオンがぽつぽつと灯り、ソジュというお酒やハイトというビールを飲みながら、彼の友達やその彼女だという女の子たちとひとつの鍋をつついた。彼は二十五歳でまだ大学生だった。それは当然、二年あまりを兵役で過ごしたからなのだけれど、重なり合うように笑い転げている男の子たちみんなに軍隊経験があるということが当時の私にはにわかに信じがたかった。
 一度、赤ちゃんのときの彼の写真を見せてもらったことがある。「このころは両親にお金がなくて……」と見せられた小さな白黒写真は、私には自分の両親の子供時代のそれのように感じられた。彼のお父さんはベトナム戦争に従軍したことがあり、アルバムには当時の写真もあった。ビーチで撮られた写真の背景にはハイビスカスが美しく咲いていて、彼に似た若い男の人が軍服姿で笑っていた。

 何もかもが近しくてそれでも違うその国を、いまならもっと知りたいと思うのに、当時の私はその国のことも、おそらくは彼のことも深く知ろうとしなかったのだと思う。ただ、その時間が季節のようなものだという予感はしていて、滞在するたびにいろいろな場所に出かけた。冬の遊園地で売っていたホットクや、居酒屋で冷やかされながら食べた蚕のさなぎのスナック、ムード歌謡みたいな音楽が流れている変なクラブ……。そういえば私は、その国でいちども嫌な目にあったことがなかった。彼の幼馴染だという女の子は、化粧っ気のなかった私に屋台で偽物のシャネルのリップグロスを買ってくれたし、外国人の私のことも姉妹かなにかのように接してくれた。それがうれしくて、私は完全に彼らに甘えきっていた。

 最後の滞在となったとき、彼は就職してソウルに引っ越していた。私は、日中は一人で地下鉄に乗って街をうろうろして、仕事帰りの彼と夜中までやっているショッピングモールに買い物に行った。そこはたくさんの洋服屋さんが手作りの洋服を並べている一角があって、よりによって彼はピンク色の派手なフェイクファーのマフラーを私の首にかけ、「似合う」と言って笑った。いま思うと、そんなの趣味じゃないし、そう言ってもよかったのだけれど、私はなにも言えず、彼に勧められるがままにそのマフラーを買ってもらうことになった。

 それからしばらくして、私は日本での生活が忙しくなって、だんだんとその人と連絡を取ることをしなくなった。最後のころの電話で、彼は、日本人の恋人ができたかどうかを尋ねたあと、「本当は韓国人が嫌いなんでしょ」と言って、それを打ち消すように「ウソ、ウソ」と笑った。そんなことを言われたのは初めてだった。いつもおおらかだったその人が私を傷つけるために選んだ言葉に、私は正しく傷ついた。フェイクファーのマフラーは一度もつけることがなく、引っ越しの時に捨ててしまった。

 最近、SNSを見ていたら、懐かしい名前とともに、幼い二人の娘と写るその人の顔がポップアップされてきて驚いた。居住地はソウルになっていたけれど、更新は数年前で止まっていて、韓国語が読めない私には彼の近況はほとんどわからなかった。

 もはやすべてが遠いけれど、ときどき、馬山という海辺の町とそこに住んでいた温かかった人たちのことを思い出す。

いちどきり行ったね海沿いの道々にこわれた車がならぶきみの町  『てのひらの花火』(2013)

◇山崎聡子(やまざき さとこ)
1982年、栃木県生まれ。「未来」短歌会、「pool」所属。
第一歌集『手のひらの花火』(短歌研究社、2013年)。
2020年には2冊目の歌集がでる予定。

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