【異郷幻灯】09.風街——染野太朗

異郷幻灯

旅先で訪れた町や、行ったことはないのになぜか心惹かれる場所、また、旅を詠った詩歌について……。
そんな、心の中にある「異郷」をテーマに、自由な切り口からエッセイを書いていただくリレーエッセイ企画、第九回は歌人の染野太朗さんです。

 五年前に教員を辞めた。辞めて半年後、埼玉から福岡に引っ越した。新しい仕事に就いたわけではない。福岡には身寄りもない。縁もゆかりもない。埼玉と東京以外には住んだことがない。好きな人がいた。その人のそばで暮らしたかった。しかし引っ越そうと決めて間もなくその人とは別れたのだった。関係を壊しにかかったのは僕のほうだ。けれども僕はそのまま福岡に移り住んだ。唐突で極端な行動があなたらしいとおもしろがる人もいた。おもしろがる人がいてうれしかった。

 福岡で部屋探しをする前日の夜、詩人のIさんと会った。Iさんに連れられて向かった天神の喫茶店はビルの一階にあった。入口が赤レンガ造りで見るからに懐かしい雰囲気をまとっていた。店に入るとすぐ左側に階段があった。二階へ上がる階段だった。二階の内壁もやはり赤レンガだったが広々としたフロアで大通りに面して大きな窓もあるから赤レンガの重たさのわりに圧迫感はない。Iさんと僕は窓際の席に向かい合って座り、何を飲んだのだったか。何を話したのだったか。今いるこの喫茶店が天神のどのあたりにあるのか僕にはまだわからなかった。行き交う車を見下ろした。街の灯りをよそよそしくは感じなかった。Iさんと別れたあと僕はビジネスホテルに向かった。Iさんは地下街へ降りて行った。ホテルでシャワーを浴びてひと息ついたあたりだったか、Iさんからメッセージとともに画像が送られてきた。暗くて何が写っているのかよくわからない。明日よい部屋が見つかるようにお櫛田さんにお参りに行ってきましたとメッセージにあった。なんの伝手も土地勘もないまま福岡で部屋を探そうとしている僕のためにIさんは祈ってくれたのだった。思い出した。Iさんはその喫茶店でビールを飲んでいた。中央にゆるやかなくびれのある背の高いグラスでしずかに飲んでいた。少し大げさな感謝の言葉を僕はきっと返信している。
 
 翌日部屋はあっさりと決まった。内見したのは二部屋だけだった。その最初の部屋に決めた。清潔な1LDKで周囲の環境も金銭的な条件もよかった。あまりに素早く決まったので拍子抜けした。Iさんにすぐ報告した。やはり少し大げさに感謝の言葉を送信したはずだ。

 Iさんに連れられて行った喫茶店は「風街」という名で、福岡で暮らしているあいだに何度も足を運んだ。店に入るたびGRAPEVINEの「風待ち」という曲を思い出し、店にいるあいだじゅうそのメロディと田中和将の声が頭を離れなかった。お櫛田さんは櫛田神社。博多祇園山笠が奉納される神社。

 福岡には二年間住んだ。そのあいだ九州のあちこちを旅した。長崎が好きだった。次は長崎に住もうと思っていた。あるいは鹿児島でもよかった。これほど早く福岡を、九州を離れるつもりはなかった。十年。二十年。もしかしたら一生を過ごすことになるかもしれないと思っていた。たくさんの友人ができた。福岡を離れるとき友人たちはいってらっしゃいと言った。そのたびにたぶん僕はいってきますと言った。

 築いては壊し築いては壊し、壊しておきながらいつまでもそこに心を残し、体だけを次の場所へ移す。幼い頃からそうだった。それが土地であれ人であれ物であれ、僕はそれを築いては壊し、築いては壊す。

 福岡を離れるほんの数日前にIさんにメッセージを送った。報告が遅れましたが福岡を離れます。もっと住むつもりだったんですが。するとIさんからの返信には、いや、もうあのとき、二年後くらいにはまた別の場所に移ることになると思うと、ご自分で言っていましたよ、とあった。そして福岡から大阪に移り住んでもう二年が経った。

◇染野太朗(そめの たろう)
1977年茨城県生まれ。埼玉県に育つ。大阪府在住。第一歌集『あの日の海』(本阿弥書店、2011年)、第二歌集『人魚』(角川書店、2016年)。「外出」同人。「まひる野」所属。笹井宏之賞選考委員。BR賞選考委員。

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