都電歌会祭レポート&車内歌会記(2024年1月28日)

歌会記

 2024年1月28日(日)、すこし曇った天気のなか、都電荒川線を貸し切って「都電歌会祭(とでんうたかいまつり)」を開催しました。

 プログラムは以下のとおり。

  • 車内歌会
    • 題詠「電車」(詠み込まなくてもOK)で事前に歌を募集。
    • 都電荒川線に三ノ輪橋駅から乗車し、早稲田駅に到着するまでの1時間、都電荒川線の車両内で実施。
  • チームに分かれての歌会、吟行会
    • 巣鴨・西ヶ原吟行会(司会:石川美南)
    • 演劇博物館・会津八一記念博物館吟行会(司会:髙良真実)
    • 南門前・早苗歌会(司会:橋本牧人)
    • 早稲田通り・新日本歯科歌会(司会:鈴木ちはね)

 ここでは前半に行った「車内歌会」のようすを抜粋してお届けします。車両内で、がたごと揺られながら、でっかい声で、ときどき車窓を眺めて「あれが◯◯だよ〜」みたいなのを挟みつつ、というちょっと変わったシチュエーションでの歌会でした。またやりたいな〜。

記:温(うたとポルスカ)

参加者

石川美南、中島裕介、榎本ユミ、山川創、坂中真魚、塚本健司、工藤吹、織紙千鶴、城下シロソウスキー、佐々木朔、上牧晏奈、髙良真実、大塚凱、温、笠原小百合、橋本牧人、鈴木黒目、杜崎ひらく(欠席)、白湯ささみ、星野いのり、佐原キオ、いわまむかし(欠席)、武田ひか、平出奔、榊隆太、榎本いずみ、酒田現、平良篤識、鈴木ちはね、北虎あきら、山階基、吉田恭大、〈石田犀、宇田川美実、大平千賀、藤井柊太〉

※詠草順
※〈〉内の参加者は詠草提出なし

歌会記

 では、歌会を始めます。みなさん、元気ですかー!!

一同 はーい!!

 マイクは使いますが、それでもふつうに喋ると電車の走行音にかき消されちゃうので、できるだけでっかい声でお願いしまーす! また、歌がたくさんあるので、全部は話せないと思いますがご了承ください。

一同 はーい!!!!!

 ありがとうございます!!!! さて、詠草は手元にお揃いでしょうか。本日は題詠「電車」で、32首が集まりました。全体を眺めると、「電車」に対するフォーカスの当て方にバリエーションがある、という印象がありますね。車体に注目した人、電車を構成要素とする景色に注目した人、あとは事故や事件のイメージに注目した人も多いです。どうやら都会、具体的には東京に住んでいる人が詠んでいるらしいという偏りもひとつの特徴なのかなと思います。口語の使い方を中心に、ざっくり言って今っぽい歌が並んでいるようにも見えますね。いろいろと評のしがいがありそうです。というわけで、どの歌からでも構いませんので、評をしたい方がいたら挙手をお願いします。

石川美南 では私から。工藤吹さんの〈一日使ってフェリーに乗りにゆくところ、船に着く頃には昼も終わっていれば〉。この歌にはテーマである「電車」という言葉が出てきませんが、「フェリーに乗りにゆく」というからにはおそらく電車に乗っているのだろう、と想像させます。移動した後でなく移動そのものの楽しさが、長く引き伸ばされた韻律と響き合っていて、とてもいい歌だなと思いました。それから、平出奔さんの〈大江戸線にきらきらの液 安心をしたいだけならさせてあげるよ〉。これは、車内で読むのが嫌な歌だな、と(笑)。東京の地下鉄というと、どうしても地下鉄サリン事件が想起されますし、特に大江戸線は一番深いところを走っているので、「ここで何かが起こったらどうしよう」という不安と隣合わせになっている空間だと思います。〈安心をしたいだけならさせてあげるよ〉っていうのは、ペットボトルに入った液を「これは水で~す」と宣言してあげるということなのかな。でも、宣言すること自体が、逆説的に拭うことのできない不安を浮き彫りにするようでおもしろいです。

 ありがとうございます。工藤さんの歌と平出さんの歌に触れていただきました。

髙良真実 今の平出さんの歌に関して、私も追加で喋りたいので発言します。石川さんはペットボトルの液体と読んでいましたが、私は車内の床にこぼれている液体なのかなと思いました。水かもしれないけど、有害な液体かもしれないし、火をつけたら燃えるかもしれない。そういう得体のしれなさを感じました。そうすると、〈安心をしたいだけならさせてあげるよ〉と言っている人がこれから具体的に何をしようとしているのか、そのあたりも不穏な想像を掻き立てておもしろいです。

 なるほど。液体がこの電車内という閉鎖空間のなかでどういう状態なのかによって、不穏さがまた変わってきそうですね。挙手している工藤さん、お願いします。

工藤吹 佐々木朔さんの〈誰も死なず誰も責任を問われない理由で電車が止まってほしい〉について話します。たとえば事故のような、電車が止まる一般的な理由はこの条件には当てはまらないので、「何か特殊な条件下で乗客合意のもと電車がゆっくり止まる」みたいな不思議な光景が立ち現れてくる気がして、これを読めたのはすごく嬉しいなと思いました。

平出奔 あ、僕もこの歌についていいでしょうか。温さんから先ほど「全体的に今っぽい」という総評があったと思うんですが、これはその際たる例だなという感じがします。今の時代は、欲望を言うにもすごく留保が必要だよなというのがあって。たとえば「金閣寺が燃えてるところを見たい」という発言をするには、「いや、実際に燃えたらすごくいろんな人に迷惑がかかるっていうのはわかってるんですけど、単に燃えたら綺麗ではあるよなっていう話で、実際燃やす意思があるということではなく……」という留保のようなものが必要になる。この歌はその留保を感じさせて、そこに現代らしさを感じました。それと鈴木黒目さんの〈無理して人がどんどん乗ってくる、あの電車、に、田んぼの田、です〉も好きです。「電車田(でんしゃだ)」、という苗字になるんですかね。「電車田(でんしゃだ)」を想定してなさすぎて、「どう見ても苗字の説明だけど、これ俺が間違ってるのか?」と思っちゃって。それだけでもおもしろいのに、さらに電車を「無理して人がどんどん乗ってくる」って紹介するのもなんなんだよ、というのもあとから笑えてくる。段階を踏んで、どんどんおもしろくなる歌でした。

 ありがとうございます。ここまで挙がっている歌だと、「必要上すごく近くに隣り合わざるを得ない他者との関係性」が、電車というモチーフが連れてくるテーマのひとつという印象がありますね。きらきらの液、車両の停止、すし詰め状態といったけっして喜ばしくない状況を、赤の他人とすごく近くで分け合うという特殊な状況を前に、短歌が有効性を持っているという。その他いかがでしょうか?

佐原キオ 大塚凱さんの〈地下鉄の風に押されるががんぼの これが戦間期だつたとしたら〉について評します。地下鉄の風に飛ばされそうになっているががんぼを見て、防空壕や戦争のなかの爆風、熱風を想起している、ということだと思います。つまりががんぼに自分を仮託しているのですが、たとえばコガネムシのような甲虫とは違って風に飛ばされそうな頼りなさがあり、この歌の作者が俳人でもある大塚さんということをわかっていて言うのですが、季語のような印象を受ける言葉でした。また「ががんぼの」、で一字空けすると「ががんぼ」に大きな負荷がかかっていて、これもまたこの虫の象徴性を高めるのに効果的だったと思います。

山階基 地下鉄の駅ってけっこう風が吹いているなという感覚があって。それは、たとえば商業施設と比べるとがさつな空調の風だったり、電車がホームに入ってくるときの風だったりすると思うんですけど。それを受けているのが「ががんぼ」で、言ってみれば細長くて弱々しい蚊みたいなものなんですが、目には見えるくらいの大きさなんですね。だから「押される」っていう表現に、目に浮かんでくるような生々しさがあって、「自分がこのくらいの大きさだったら、この風を受けてどんなふうになってしまうんだろう?」という想像を掻き立てるところがある。そういった印象が、下の句のフレーズにつながってくるのかなと思いました。

 「ががんぼ」というモチーフに注目が集まってますね。僕は「戦間期」という把握に注目したくて、佐原さんの読みだと前世紀の具体的な戦争を想起されているのかなというふうに聞いていましたが、もしこれから戦争がここでも起こったとしたら、今こそがまさに戦間期と後世呼ばれることになる。このことを考えているようにも読める〈これが戦間期だつたとしたら〉なのかなと思いました。では、次の方お願いします。

坂中真魚 中島裕介さんの〈スマホから面をあぐるときに合う焦点、として男をりたり〉が好きでした。これは電車に乗っているときの歌だと思って、今、私たちは歌会をしているからスマホは見ていないんですけど、ふだん電車に乗っているときはほとんどの人がスマホを見ている。そんな状況下での〈男をりたり〉がおもしろいです。目を合わせようと思ってなくても目が合う感じ。なんだかこの、目が合った相手をなんとも思っていない言い方がなにかを捉えているなと思いました。それと、歌のなかに出てくる「面」は自分の顔なんだけど、実際にこの人が見ているのはスマホの液晶画面の「面」であり、男の「面」でもある。この象形文字としての活かし方もなるほどと感じます。

 ありがとうございます。

鈴木ちはね 坂中真魚さんの〈消えていく踏切ぜんぶ記憶する誰かのカメラ信じて眠る〉について、実際に踏切というものはどんどん消えていっていると思うんですけど。それをぜんぶ記録したり覚えてまわったりするわけにはいかないので、ほかの誰かの記憶や記録に託すしかない、というのが捉え方としておもしろかったです。それから上牧晏奈さんの〈大きめのスヌーピーの人形に電車をぶつけ続ける人の子〉。これは二句目の字足らずな感じが子どものイノセンスみたいなものと響き合っているんですが、「人の子」という言い方によって単純な子どもとしての取り扱いをしていないのが目を引きました。あとは髙良真実さんの〈穴長くやがて職場へ到るらし百年ほどの銀座線混む〉。これは素朴に、地下鉄のことを「めっちゃ長い横穴」だと思ってるのがおもしろい。そのとおりですよね。あの、そのとおりだと思います。このあたりの把握もおもしろく感じました。

武田ひか 僕も、坂中さんの歌がいいなと思って。鈴木さんの読みは「時代の流れとともに踏切がなくなっていってしまう」ことを〈消えていく〉で表しているということでしたが、僕は単に、視界のなかで過ぎていく踏切ってことかなと思いました。魅力的だったのは、この踏切をはじめとして、カメラのシャッターであったり、「眠る」にあらわれる瞼の動きであったり、なにか降りたり昇ったりするものがつながっている感じがあったことです。もう一首、星野いのりさんの〈ホットコーヒー信じるよ信じるよ 雪は車窓に触れれば透ける〉。なにかホットコーヒーの信じられなさ、みたいなものが〈信じるよ信じるよ〉と何度も確かめるような言い方を引き出している。そういう不安な感じのする、印象的な一首でした。

山川創 星野さんの歌、わたしも気になったので話します。〈信じるよ信じるよ〉についてわたしは逆に、コーヒーが存在としてすごく確かであることが強調されていると思って。雪とあるので冬だと思うのですが、寒いなかで手元にあるコーヒーというのはなにか、手で感じられる確かさ、温度に寄せる信頼みたいなものを読みました。それと、けっこう下の句の〈雪は車窓に触れれば透ける〉の、特に「透ける」という語の選択がいいと思いました。こちらは温度ではなく、視覚的なところに注目しているという。

 たしかに、雪が「透ける」というのはちょっとだけ珍しい言い方ですね。この言い方の効果は、読者が雪というものにどのくらい具体的なイメージを持っているかにもよりそうですが。ありがとうございます。

大塚凱 鈴木ちはねさんの〈都営バスは雨に降られてやってきて雨に降られたわたしを乗せる〉について話します。この、ややこしいというか、文意を解きほぐさなきゃいけない入れ子構造。雨っていっても、都営バスが降られた雨と、わたしが降られた雨とは異なるんですけど、自分はそんなバスに取り込まれていってしまう。雨を通じて連なっていく感覚が表現されていて、歯ごたえを感じました。

 今回、テーマが「電車」だったと思うんですけど、この歌はどういう関連のさせかたなんですかね? 電車が止まって、代替輸送としてバスが出てるのかな。

鈴木ちはね いや、これは題詠であるってことを見逃してて……。

 え、じゃあ自力でたまたま、交通機関まではたどり着いたんですか? すごいな。では次の方お願いします。

藤井柊太 今回、題が「電車」で、僕は電車が大好きなんですが、石川美南さんの〈折り返し運転 軽い会釈して月と日が持ち場を取り替へる〉がいちばん、電車好きとしてはぐっと来ました。折り返し運転で持ち場を取り替えるということは、これは運転士と車掌だと思います。僕、小さいころ運転士になりたかったんですけど、運転士ってやっぱり太陽だと思うんですよ。それで、車掌は月のイメージ。実際の鉄道会社でも、車掌をやってから運転士になる、というのがあって。この把握のしかたが、すごくおもしろかったです。

 ありがとうございます。僕、前に鉄道会社に勤めてたことがあるんですが、たしかにキャリアの順番としては車掌を先にやってから運転士でしたね。太陽と月……なのかはちょっとわからないですが。

城下シロソウスキー すみません、今日欠席の方の歌なんですけど。いわまむかしさんの〈急カーブ おおきな獣の背に乗って旅するようにすこしだけ浮く〉という歌が、これは今日の詠草のなかでいちばん鉄道好きな人の歌だなと思って。鉄道の急カーブって、直接登るのが難しい勾配を角度をつけて登るときに生じるもので、鉄道ファンからすると撮影スポットだったり、乗り鉄的にもすごくテンションがあがるところなんですよね。そこを掬い取ってきたのは、鉄道好きな人の視点だなって思いました。

 たしかに鉄道好きな人って、車体になにか大きな動物っぽさを感じてそうなところがありますね。それを指摘したこの歌は、たしかに鉄道好きっぽいのかも。……あ、時間的に次が最後くらいですかね。どなたかいかがでしょうか。

上牧晏奈 あ、もし他にいなければお願いします。城下シロソウスキーさんの〈キヨスクでコインチョコレートを買って旅には出ないけれど殻をむく〉という歌。キヨスクという駅にある売店はどこか遠くへ行けそうな印象を与えるんですけど、でもそれとは別にちまちま手元で作業しているわたしがフォーカスされている。旅に出ないんだ、っていうのがいいなと思いました。音の側面でも、そのちまちま感が後押しされていてよかったです。

 ありがとうございます。さて、そろそろ早稲田に到着するころですね。道中、沿線を観光しながらの楽しい歌会でした! ぜひこのあともお楽しみください。おつかれさまでした。

一同 おつかれさまでした!!!

運転席側の車窓から見えた風景
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