【ブックレビュー】『サワーマッシュ』(谷川由里子)

(執筆者:温)

 この本の表紙は不思議な色をしている。何色と表現すればいいんだろう。遠い国の海の色みたいな感じ。つるつるして光沢のあるこの紙には、「SOUR MASH YURIKO TANIGAWA」と印字されている。
 開くと目次があって、目次には章がひとつだけある。「サワーマッシュ」という名前の章がひとつだけ。一般的な歌集は、いくつかの章もしくは連作で仕立てられていることが多い。それはなんとなく、複数の玩具がひとつの箱に収まっている様子をイメージさせる。一方で歌集『サワーマッシュ』には、「サワーマッシュ」だけが入っている。箱の中に、ほとんど同じ大きさのブロックがすっぽりと収まっているかのようだ。自分はこれから他の何物でもなく、「サワーマッシュ」を読むのだ、というふうに意識が集中していくのがわかる。

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 「サワーマッシュ」は次の歌で始まる。

ずっと月みてるとまるで月になる ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ

 この歌は、これから歌集を読んでいくわたしたちに提示された予言のように聞こえる。わたしたちはこれからこの本を読み終わるまで、ずっと「サワーマッシュ」をみて、まるで「サワーマッシュ」になるのかもしれない。予言をした誰かは、ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ、というリズムで踊るように進んでいく。その誰かは場合によって月にも見え、谷川由里子という作者名にも見え、「サワーマッシュ」にも見え、この歌そのものでもあり、そのあとの歌たちでもある。

 つまり、「サワーマッシュ」は1首目のあとも、多くの短歌によって続いていく。

まばたきで恋に落ちたら バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクの胸飾り

 最初に目を開いているときにはまだ恋に落ちておらず、目を瞑って、もう一度目を開いたときにはもう恋に落ちている……、そういう記述だと思う。セルアニメのような時間感覚の中で、この人は恋に落ち、そしてその状況と関係があるようなないような、バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクの胸飾りが差し出されてくる。バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクの胸飾りとはなんだろう。よくわからないけどわたしたちはそれをとにかく受け取ってしげしげと眺め、恋に落ちたという人と見比べることになる。

バルセロナバルセロナに行くその日までバルセロナに行くまでのこの日々

 まだ自分が生きているということを、言い換えているように聞こえる。バルセロナはあのバルセロナなのだろうか。カタルーニャ州のバルセロナ? 何度もバルセロナと言われるうちにすこしずつあやふやになっていく。パリでもガザ地区でも千葉市でもない、あのバルセロナ?
 ともかく、日々は未来のバルセロナに投企され、したがって日々が続いていく限りバルセロナはずっと未来にあり続ける。この人が動くに伴ってバルセロナも同じだけ動くから、追いつくことがむずかしい。どこまで進んでもこの日々が終わらないのは、そのような理由による。そう言っているのだろうか。

5年着てこんなところにポケットがあったのかって驚きたいな

 そんなことあるだろうか。あるかもしれないけど、少なくともこの歌を言っている人には経験がないはずだ。驚きたいな、という願望として表出したことは、これまでにその驚きを手にしていないことを示している。持っている服にかんして言えば、どこにどんな深さのポケットがあるのかはすべて知っているのだ。それはそう。5年も着ればポケットくらい制覇してしまうものだ。どんなに不思議な位置にあるポケットであっても。

ああ昨日たのしかったこと寝ぼけてないよ昨日のみんな優しかったこと

 この人は、昨日のことを回想しはじめたようだ。昨日がたのしかったことも昨日のみんなが優しかったことも、この人にとってどれほど嬉しいことだったろうか。そして、それはすでに昨日のことになってしまったのか。目を覚ました今日はまた別の日を送ることになるのか。明日もまた。
 寝ぼけていないというのは本当だろうか。そうだとしても、まさかそのあと否定形に入っていくとは思わず、「寝ぼけて」と言われるがままに読者のわたしは寝ぼけようとしてしまった。寝ぼけた頭で思い出そうとすれば、たのしくてみんなが優しかった昨日というこの人の記憶は、わたしの記憶であったようにも感じる。

月がひかってる月がひかっているチャンスを棒に振るように生きて

 「サワーマッシュ」の歌は、生きることと、生きていては触れられないものと、この2つの距離によって構成されていることがある。
 生きることは生活の営みであり、この日々であり、既に知っているポケットであり、チャンスを棒に振るように生きている今である。生きていては触れられないものは、バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクの胸飾りであったり、バルセロナであったり、そしてもっとも多くの場合、月であったりする。この人のあとをついていくとどうしてか、たくさんの月をみることになる。

ああよかった。どこにいても月がみえる。悲しみが色めき立つのがわかる。

 この人はいつも月をみている。その後ろ姿につられて、読者のわたしも一緒に月をみることになる。悲しみが色めき立つと言われれば、そういうこともあるかもしれないと思う。少なくともどこにいても月がみえるとき、その事実は一般的に悲しい。どんなふうにと言われると、確かに、どんよりと沈むようにではなく、確かに月光が差して色めき立つようにというほうが適切な感じがする。
 いずれにせよ月は目視で確認されるにすぎず、その手に掴めるようなものではない。

すっぽりと月がみずからポケットにもぐってしまう恋に落ちたら

 このような歌においてさえ、この人が月を手に入れたとは思えない。月は、恋に落ちたという言わばこの人の意思が関与しない事件を契機として、ひとりでにやってきたにすぎない。そして友好的な鳥のように目の前で止まってくれるわけでもなく、そこを通り過ぎてポケットにもぐっていってしまう。すっぽりと。つまるところ月には触れることも許されなかったのだ。

月がいちばんポケットに入れたいものだなって月に聞かせてから寝る

 そのことについてこの人がどう思っているのかはよくわからない。月とともに、踊るようなステップで始まった「サワーマッシュ」は、月にひとこと聞かせてから眠りについたこの歌で終わりを迎える。

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 本を閉じると、例の異国の空か海のような色が、今度は背表紙としてあらわれる。ひととおり「サワーマッシュ」を読んだせいなのか、事前には異国の海みたいだと思ったんだけど、今では明るい夜空の色のようにも見える。

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