【異郷幻灯】02.リル——水原紫苑

旅先で訪れた町や、行ったことはないのになぜか心惹かれる場所、また、旅を詠った詩歌について……。
そんな、心の中にある「異郷」をテーマに、自由な切り口からエッセイを書いていただくリレーエッセイ企画、第二回は歌人の水原紫苑さんです。

   

リルの老犬  水原紫苑

 大学四年の夏から秋に三カ月フランスに行った。一九八一年である。
 日本の高度成長期で、日本人がエコノミックアニマルと呼ばれて、世界中で忌み嫌われた時代である。今の中国の勢いを何十分の一かにして、想像してみてほしい。
 円高で、海外渡航には好都合だったのである。
 しかし、私自身は、世界情勢も知らず、親がなけなしのお金で行かせてくれたことも全く考えず、脳天気だった。若くて元気で、怖いもの無しだった。
 まず七月はフランスでいちばんきれいなフランス語が残っているというトゥールの町で、ホームステイをして語学学校に通った。ロワール河のほとりのお城巡りもしたし、ホームステイ先の北欧人の少女たちと仲良くして、それなりに楽しかったが、私は早くパリに行きたくてたまらなかった。白い家が並ぶ静かな町は、好奇心の塊だった私には、刺激が無さすぎて物足りなかったのである。
 八月になって一人でパリに行き、最初はホテルに泊まっていたが、運良くロータリークラブのジュニア組織を紹介してもらい、パリのブルジョワ家庭の若者たちのアパルトマンに一週間ずつ泊めてもらえることになった。
 これは望外の幸せだった。ブルジョワ家庭といえども、子どもたちは自分で生計を立てているから、ルームシェアをしたりして、それなりに慎ましい暮らしをしている。そうした若いパリジャンたちの生活に入り込ませてもらった私は、プチットジャポネーズ(小さな日本の女の子)と呼ばれていた。今から考えてみれば、キリスト教的な慈善活動の一環だったのかも知れないが、実にありがたいことだった。
 共同生活をしていたマリエルとアニック、新婚のフランソワとヴェロニック、そしてプジョーに勤めていたディディエ、この三組のアパルトマンにお世話になった。昼間は一人でパリの街を歩き、夜は劇場に行ったり、家で夕食を共にしたりした。そして、それぞれの実家にも連れて行ってもらったのである。
 背の高いマリエルは北部のリルという町の出身だった。彼女はとても真面目で誠実な人柄で、自由奔放なルームメイトのアニックとはうまく行っていなかった。言い争いの現場に立ち会うのは、居候の身としても気まずいので、マリエルと二人だけの小旅行はいっそ気楽だった。
 パリのアパルトマンはエレベーター無しの屋根裏部屋だったが、実家は立派なお屋敷で、やはり背の高い気難しそうなお父さんと、太って優しい感じのお母さんが迎えてくれた。大きな犬が部屋にいたのが何よりうれしかった。身体の毛色は忘れたが、茶色の耳が垂れていたのを覚えている。真っ先に近づいて撫でさせてもらった。
 どうもこの犬は庭で飼われていたのだが、もう老犬なので家に入れてもらったらしく、お父さんが、犬を外に出せと言うと、お母さんが、「だってもうこの犬は来年はいないんですよ」と庇っていた。もう来年はいない、という言葉の意味が、当時の私にはわからなかった。
 だが、それから何十年も生きて、最後の愛犬さくらを失った今だと、しみじみとよくわかる。あのお母さんはきっと今の私よりも若かっただろうが、命というものを知っていたのだ。
 プチットジャポネーズの私は、お母さんの美味しい料理をご馳走になった。マリエルもすっかり家の娘に戻り、お母さんはいとしそうに、「お前はもうパリジェンヌだからねえ」と洋服などについての意見を求めていた。
 だが、お父さんは食事が終わると、暖炉の傍で葉巻を吸いながら、「われわれのフランスは、古い国だからもう疲れている。日本は新しい国だから日の出の勢いだな、結構なことだ、ワッハッハ」と、私を睨みつけた。この成り上がり者めらが、という口ぶりである。
 私はびっくりして言葉もなかった。日本がフランスに比べて新しい国だとは考えたこともなかった。いいえ、日本には千年以上の文化がありますなどと言えたはずもない。
 結局これが、三カ月の旅でいちばんの苦い記憶になった。それでも翌日は、マリエルと歩いて国境を越えて、ベルギーに入り、フランスとは違う整然とした街並みを眺めた。まだEUの無い時代だったのだ。
 最後はお父さんも、もう嫌味は言わずに送り出してくれた。
 あれからもう四十年近い時間が経ってしまった。あの老犬は、本当に翌年までは生きられなかったのだろうか。お父さんやお母さんはご存命だろうか。
 そのあと二回パリに行ったが、いずれも短期間である。フランス留学の夢も叶わなかった。両親の介護もあって、フランスは遠ざかる一方だった。
 けれど今年、もし健康が許せば、もう一度パリに行こうと思っている。パスポートは取った。しかし、心身虚弱なので、ぎりぎりまでどうなるかわからない。
 さくらはフレンチプードルなので、フランス原産の犬だった。その故郷を訪ねるというのがひとつの目的である。
 もし本当にパリに行かれたら、そして、さくらにそっくりの犬たちに出会ったら、私はいったいどうなるだろう。うれしいような怖いような、不思議な気持ちだ。
 また、もしリルの老犬の生まれ変わりがいたら、会ってみたい。そして言いたいのだ、プチットジャポネーズを覚えていますか、あの時はありがとうと。

◇水原紫苑
1959年、横浜生まれ。1986年、早稲田大学仏文修士課程修了。春日井建に師事。近刊に『えぴすとれー』(本阿弥書店、2017年)。

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