(執筆者:狩峰隆希)
硝子器の罅を愛すとあざやかに書けばいつしか秋となりゐる 杉原一司
長い休みが終わったり夜のあいだだけ冷えるようになったり、季節の変わり目にはいくつもの兆候があるけれど、ここでは「硝子器の罅を愛す」という一行が偶然にも接線としてはたらき周辺の季節との交わりをみせている。書くことなしには秋になることもなかったとさえ思う。
どれほどの出来映えだったのだろう、「あざやかに」と言うからにはかなり納得がいったらしく、筆のタッチの迷いのなさや美しさなどが推し量れる。文脈を知らないために愛するものが硝子器の罅というのは単純にみえて仕方ないのだけれど、逆に混じりけのない愛だからこそ背後では数々の捨象が行われてきたに違いない。そうして満足のいくものを書きあげたとき、胸の奥ですがすがしさとともに顔を覗かせるのは寂寥感である。
大事なものまで抜け落ちたかのようにアウトプットのあとには多少なりとも心に隙ができるものだ。「いつしか」の一言では片づけられないほど体感よりも早く流れる時間にしんみりしつつ、ときに取り残されそうになりながら愛を顧みる。夏から秋へ、そうした加熱から冷却へのベクトルは硝子の加工にも愛にも生じうるものであり、一貫して冷静な雰囲気のなかに拍動も感じる。
ところで、硝子器をうたの器に重ねあわせる読みは安直な気がするものの、それでも硝子器、罅、愛、秋などサブリミナル的に差し挟まれるイ音の線のほそさが亀裂のようにうたに刻みつけられることは指摘しておいてもよいだろう。
◇狩峰隆希(かりみね りゅうき)
1998年生、宮崎県出身。「まひる野」所属。「Tri」同人。