【杉原一司一首評/田島千捺】何を手よはらひのけむとせるやいま冬月しろく冴ゆる宙にて

杉原一司歌集刊行記念

(執筆者:田島千捺)

  何を手よはらひのけむとせるやいま冬月しろく冴ゆる宙にて 杉原一司

「何を手よ」に驚かされた。冷え冷えとした夜の空気を感じて、何かを払いのけるような手に疑問を投げかけているが、その手は自分の手ではないだろうか。思わず手が動いたが、何によって動かされたのかが分からないというところだろうか。何かを感じとっているが、それを明確に理解できず、手に問いかけてしまう。
「何を」を文頭に、呼びかけの助詞、さらに「いま」と付け加える。大袈裟な印象を受ける一方で、疑問文的な組み立て方の構造からは、疑問の対象という空白が生まれる。「手が何かを払いのけた」ではなく、「何を?」という空白が現れるのだ。空白は、驚きと不安、おそれを感じさせる性愛の予感につながるものかもしれない。

 掲出歌は連作「暗夜篇」の冒頭歌である。「暗夜篇」には〈reliefのごとき夢像はたちまちに失せて視野なす壁粗くあり〉や、〈いくへにも瞳のおくにうつろへる女の機微にふれむとはせじ〉という歌があり、ベールの向こうの性を思わせる。自他の身体に向き合う性愛の存在を感じる連作の冒頭に、すでに性愛自身の空虚さが予感されているようでもある。払いのけようとしているのはまさに性的な何かなのかもしれない。
このような象徴的なつくりだが、惹かれたのはそのために初句に置かれた「何を手よ」だった。「何を」!?「手よ」!?と、強調されたふるまいに驚きつつ、わからなさの対象に思いを寄せることになる。結句まで読んだところで冒頭の疑問詞に戻るような、だまし絵のような構造がおもしろかった。

◇ 田島千捺 (たじま ちなつ )
平成7年愛知県生。未来短歌会紀野恵欄。

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