【杉原令子一首評/漆原涼】しろじろと霧は流るるわれはひとりの息がせつなく野を駈けてゆく

杉原一司歌集刊行記念

(執筆者:漆原涼)

  しろじろと霧は流るるわれはひとりの息がせつなく野を駈けてゆく 杉原令子

動詞〈流るる〉は連体形だから、〈霧〉を主題にとりながら〈われ〉も主題に取りうる。この奇妙な修飾関係に注目したい。
この点について、短歌の文語も含め現行の日本語のシステムではそのまま解釈することは難しい。文が続いているにもかかわらず、読者の判断において言いさし表現として文を中断するなどの処理(すなわち軽微な書き換え)をして考えることになる。はじめから読解の梯子をひとつ外して書かれているのだ。

ここで、二つの係助詞〈は〉を対比的に受け取ると

①しろじろと霧流るる(……)
②われ〔ひとりの息せつなく〕野を駈けてゆく

という主述関係に整理できる。この場合には、霧の流れるなか吐息がこころもとなく感じたことを動機としてわれが野を走るさまを読むことになる。

 他方、〈息が〉という主格が〈駈けてゆく〉に対応するものとすれば

❶しろじろと霧流るる(……)
❷われひとりの(……)
❸息せつなく野を駈けてゆく

という主述関係も想定できる。この場合には、外景が〈われはひとりの〉という挿入句のような内省を呼び、身体内部から離れていく息を契機として意識が再び外へ向かっていくさまを読むことになる。

 しかしこれらは解釈の可能性でしかない。掲出歌は、地滑りを起こすような修飾関係によってイメージを多層化し、句切れのない一行書きの短歌のなかにも様々な呼吸が内在すると提示するまでである。意味の固着をイメージの生成によって拒む文体である。

◇漆原 涼(うるしはら りょう)
福岡市在住、未来短歌会夏韻集所属。

【お詫びと訂正】掲出歌を当初、杉原一司作品として公開していましたが、正しくは「杉原一司歌集」に収録された杉原令子による作品の誤りでした。ここに訂正し、お詫び申し上げます。 2020.6.14

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