青天のごとき声もて問ふべきに 9条改正論の萎え魔羅 高島裕『盂蘭盆世界』
記憶が正しければ、歌会でこの歌を読んだのは2016年の春だった。
集団的自衛権の行使容認を含む、いわゆる安保法制が施行されてまもなくのこと。それが国益だというのなら堂々と推し進めるべきところを、手続きを骨抜きにして姑息なやり方で! とでも言うような憤りが、一読して強く印象に残った。口に出すなら、「萎え魔羅」は直後に「!」を補って読みたい。戯画化であり皮肉であり、絞り出すような罵声なのだが、それすら暖簾に腕押しだろう――相手は「青天のごとき声」という誇りをもはや失っているのだから――という諦念の苦々しさも滲む。
この歌を含む連作「残光の祖国」は、高島の個人誌『黒日傘』の6号(2016年6月)が初出である。同誌は毎号1名のゲストを迎え、特集テーマを設けて短歌連作の競作とエッセイ、特集とは別に高島の短歌作品と論考を掲載する構成となっている。6号のゲストは澤村斉美、テーマは「日本」である。
母国語が世界語である人生を想ひみつ、その大道を
戦後左翼・震災後右翼相似つつ群れて正義を四捨五入する
売国奴、いな愛国奴みちみちて快適なまま暮れゆく日本
日本語の滅びののちをつややかな線描として残れ、わが歌
同じく「残光の祖国」から。日本国と日本語の滅びは軌を一にしており、現在がまさにその黄昏時の昏れも昏れである、という意識は歌集を通底している。唇を噛みつつ言い募る、読点の溜めが重い。三首目の「愛国奴」は強烈だ。米国に追従する宰相の、中韓を誹る匿名の、小綺麗な「日本文化」を称揚するメディアの、空虚な言語空間が充溢した日本の姿がここに凝縮されている。
[短歌(和歌)は]千数百年前、漢詩文のインパクトのもとにナショナルな文化装置として制度化され、天皇の住む京都を中心とする、日本版の中華思想、日本版の華夷秩序を支へ続けた。そして、伝統的な東アジア世界が解体した明治においては、新たな「中華」である西洋諸国の文芸にインパクトを受け、「写実」や「ロマン」を掲げる近代文芸として再生した。
[]は引用者による補足。
『黒日傘』6号のエッセイ「悲しい東アジア」から引いた。戦後日本にとっての〈中華〉は言うまでもなく米国だろう。日本語が(少なくとも生活のレベルで)グローバルな帝国の言語たる英語に置き換わる将来を切実に予見する高島が、なお残すことを願う「線描」のような歌とは、一体なんであろうか?
中華対夷狄の構造を下敷きにした連作が集中にいくつかある。その最たるものが「桃太郎の鬼退治」だろう。
牛頭神の加護厚うして年々に富みゆく島よ、子宝も多
耳さとき猿の報せに桃太郎事急がむと犬・雉を呼ぶ
夜通しで謀議をなせり、隠れ家に猿・犬・雉と団子喰ひつつ
面妖な牛頭の神など拝める、奴ら鬼なり鬼ヶ島なり
桃太郎を、大和朝廷の威を借りて「寳ヶ島」に騙し討ちする略奪者として描いた一連である。「寳ヶ島」の住人(ゴシック体)と桃太郎一行(明朝体)の視点が交互に描かれる構成の妙は、ぜひとも実際に読んでいただくとして、ここでは、3首目の「猿・犬・雉」の語順に注目したい。一般的になじみがあるのは「犬・猿・雉」だろう。この耳ざとい(そしておそらく舌先だけはよく回る)猿の姿はまさしく「愛国奴」めく。ここでの桃太郎は現在ならば米国に尾を振る日本を重ねても良いし、東アジア諸国に対する大日本帝国も想起される。もちろん、どの時代のどの地域にせよ、こうした華夷秩序は多層的なので、日本が「寳ヶ島」の立場にもなりえたし、なりうる。
別の連作から1首引こう。
御旗振り立て都市常民を脅迫す、かかる「愛国」にわれは与せず 「アカダマ薬局」
すこし話は逸れるのだが、国旗といえば次の歌が好きだ。
旗差しの中に礫を二つ詰めて竿の角度を安定させつ 「天長節」
自宅前に国旗を掲げる行為が、具体的な描写を通して手応えごと伝わってくる。3句目「て」の字余りも効果的だ。そのままでは安定せず、「礫」をわざと詰める。祝日の朝の晴れ晴れしさを、小石のざらざらやごてごてが支える、というのはなにか暗示的だ。
歌集の末尾に置かれた連作「仰光の土」は、「労働力」の確保を目的としたベトナム出張が描かれている。
空港といへど畑を想ふまで土見ゆ、そしてミャンマー国旗
日本語の名刺を渡し日本語の名刺受け取る、旅の始まり
靴脱いで上がる家居は狭けれど家族優しく集うてゐたり
貧しい家の子の方が良い、日本の有難みがわかつて不平を言はないだらう
ここでの〈私〉は労働力を徴収し、言語の「大道」を易易と歩く〈中華〉の側にいる。同時に、土に根ざし家族を尊ぶ、かつて日本にもあった心の豊かさに心を添わせている。「貧しいけれど心は豊か」はともすると紋切り型の浪漫的な懐古に陥りがちなのだが、自らの加害性や、権力構造が時と場所によって置き換わりうることを自覚しているため、そう単純な図式にはならない。アンビバレントな心のぐらつきが、ぐらつきのまま差し出されている。
〈中華〉をめぐる問題系を個人のレベルにまで適用すると、もっと野蛮な夷狄だったかもしれない〈われ〉を描いた連作「平行われ」に行き当たる。
明け方を手負ひの犬と争ひて青羅のひとのゴミを奪へり
三十枚の耳をしづかに眠らせて低く唸れるわがフリーザー
歌詠みになつてゐたなら…五年前の見本誌を開きひとりほほゑむ
1996年3月に短歌結社の見本誌を手にするも入会しなかった場合の〈われ〉は、意中の女性にストーカー行為をはたらき、社会への憎悪を募らせる。足がつかないように神経を尖らせながら、密かに15人もの命を奪ったのだろう、被害者の耳を冷凍庫に保管する。三十一文字に1だけ足りない「三十枚」と書いたのは意図的だろう。
友幾人公安に売りて指導者を讃へる歌をあまた作りぬ 「最後の歌人」
ひととせを蟬鳴き渡る代となりてなほ口ずさむ「春の小川」よ
日本語が国語でありし遠き日に何をなすべきだつたのだらう
「平行われ」の直前に置かれ、対をなす一連が、日本が中国に併合され、異常気象相次ぐ常夏と化したらしい平行世界を描く「最後の歌人」である。日本と日本語の滅びに何を残せるかわからない。残せたとして、それは決して清浄でも美しくもないだろう。歌人であろうとなかろうと、〈われ〉も日本も日本語も、かくも猥雑な世界でもがくほかない。本書の〈われ〉は一貫して滅びの美学に溺れることを拒む。
歌集に通底し、高島に歌を作らせる動機づけのうち、もっとも切実な華夷秩序は、故郷富山と東京だろう。
「丼物」の文字跡あはく残りをり、駅前のビル解体半ば 「さざなみ」
ふるさとが首都圏となるさびしさにこの身やうやう透けゆくならむ
湯沢にて階駆けのぼる忙しさもあと幾度の上京ならむ
「北陸新幹線来春開業」の詞書がついた1首目から、3首続けて引いた。2015年3月の北陸新幹線開業以前は、越後湯沢で在来線特急から上越新幹線へ乗り換えなければならなかった。故郷と東京が直通になる便利さと引き換えに、失ってしまうものへのさびしさ。ここには、日本が米国という〈中華〉に接収され、グローバル資本主義に覆われながら透明化しやがて消えゆく日本語への危機感も重ね合わされていると見るべきだろう。
越後湯沢での乗り換え時間は短く、わたしもあの慌ただしさは身に覚えがあるのだが、日本語の残り時間の象徴として、あまりにぴったりだ。
ひとり、ただひとり歩いてどんなこころで神通川を越えたのだらう 「真闇の夏」
生家にて一時間ほど眠りたり、足裏ひんやり柱に当てて
明日までは権利下にあるアパートの駐車場にて夜風を受けぬ 「転居の頃」
ああ、ここで歌を作つたんだ。おのづから言を洩らせり傍らの妻へ 「柿色の国」
背景に桔梗を長く咲かせつつ真夏の母は健やかに笑む 「ひとたび」
労災病院の桜の傍を徐行してわれら今年の花見となせり 「百日の空」
ありがたう、ありがたう、われら人語もて送るほかなし、無垢のいのちを 「人語で送る」
記憶には残らぬだらう、さればこそ何度でも笑へおまへの祖母に 「寿」
ふるさとに暮らして、様々な残り時間を愛おしみながら生きる。8年にわたる集中の時間の中で〈われ〉は射水市戸破から砺波市高道へ、さらに砺波市庄川の生家へと移り住む。結婚しやがて娘が生まれ、生家で父となる。一方、母は施設に入居し、歌集の終わり近くでは入院中で、かなり容態が悪いらしい。
1首目、恋人の孤独な歩みを想像するとき、その敬虔さと「神通川」という地名が美しく響き合う。4首目は茂吉の故郷を訪れた際の歌。ふと漏れた感慨を隣にいる妻が証してくれることで〈われ〉の言葉は生き残る。5首目、桔梗が咲く時間の幅と、母が笑顔を見せる今の瞬間、桔梗の前にとどまるしばしの時間、などが「長く」によって重層的に立ち上がってくる。7首目は愛猫「饕餮」を看取った際の一連から。ひとつの命の終わりに人語しか贈りえない無為と、それでも声をかけて愛を残してやりたいと願う気持ちが混じり合い、心に迫る。
生家での午睡、引越し前夜の駐車場、妻と娘を連れて母を見舞う病室。つかのまの時間を歌に書き留める手つきは、6首目の「徐行」にも似た優しさを帯びている。
契丹史繙く真夜の大蜈蚣ゴム製品のごとくつやめく
薬として使つた記憶はないが。
かつて父ピンセットで蜈蚣捕るたびに生きたるままを瓶に落としき
帰郷後の家財整理。それさへもう昔だ。
琥珀色に溶けて凝りて瓶の中昭和の蜈蚣しづもりてゐし
歌集の表題にも採られた連作「盂蘭盆世界」から、3首続けて引いた。これらの歌の「蜈蚣」に日本語、あるいは短歌を重ねて読んでしまう、と言うと深読みだろうか。だが、「契丹」が中国から見た周縁の異民族であること、その通史を〈われ〉が繙いている場面設定。生家の家財整理をした比較的近い過去の回想は、故人たる父の追憶へ、さらに遠い父祖へとつながってゆく。
蜈蚣のシルエットは線状である。
瓶の中で出口を失くし、あるいは溶けあるいは凝り、形を半ば失いながらもまだそこに在る蜈蚣こそは、本書を通じて悶えながら著者が問うてきた日本語の似姿ではないか。かような〈線〉を駆使して描くのが、著者にとっての歌という線描なのではないだろうか。
先日、松村外次郎記念庄川美術館で行われた「高島裕展 ―民族、郷土、愛恋の歌人―」に足を運んだ。天井から吊り下げられた大きな細長い旗状の白布に、短歌作品が朱書されていた。第一歌集『旧制度』に収録の連作「首都赤変」は環状に配置されており、その歌群に取り囲まれながらしばし見上げた。
高島さんとわたしは、直接そういう話題を交わしたことはないけれど、政治的信条はかなり違うとわかる。だが、自らの思想や憎悪や愛情が、何に、誰に、どこに由来するのかを厳密に問うてやまない姿勢には敬服するほかない。それは確かだ。
展示室での光景を思い浮かべ、つづきを幻視する。吊り下げられた歌たちが発火し、白布は身を捩りながらしずかに燃え落ちる――。
いや、幻想にしても、燃え落ちてしまっては耽美的に過ぎるだろう。
愛しさは傷みに似つつ吾子見れば気道焼かるるごとき心地す 「百日の空」
あるいはわたしがその内側から見上げていたのは、歌人高島裕の気道なのではなかったか。焼かれながらも声に、言葉になる息を通す一本の道。この道から世界に放たれる歌は、燃え落ちることなく、傷みを、愛しさを、虚空に描く。