【きょうは傘とか歌ありがとう 3】島田修二『渚の日日』 ― 笠木拓

 筑摩書房の『現代短歌全集』第17巻を一息に読んだのは、大学を休学して実家に戻っていたときだった。とりあえず新しいほうから読もうと思って、まずは昭和55年から63年まで刊行の歌集を収めるこの巻を手に取った。多かれ少なかれ「自分の悲しみや絶望やさみしさこそが世界一」だとうぬぼれていたわたしは、けれどもこの読書体験を通して、そんなものはとっくに先人たちが通過してきたということを、体感としてわからされたように思う。ほとんどの嘆きや苦みはもう歌にされているので、自分がべつに背負わなくてもいいのだな、とどこか深いところで安堵し、慰撫された。
 この慰撫の感覚を思い出すときいつも、同書に収録の島田修二『渚の日日』が象徴的な一冊として浮かんでくる。

 サラリーの語源を塩と知りしより幾程かすがしく過ぎし日日はや 島田修二『渚の日日』

 よく引かれる有名な歌の、この「すがしさ」の感覚。サラリーマンなる生き方は、時間と体力と心を会社という一組織に独占的に売ることで禄を食む、不毛な徒労だ。吹けば飛ぶ、手にはべたつく、無数の結晶の集まりであるところの〈塩〉。意味内容は理に落ちやすいけれど、〈塩〉の象徴性や、下の句の含みのある息遣いが不思議と心に残る。
 この歌を含む100首の連作が歌集のタイトルにも取られた「渚の日日」だ。著者が四半世紀と少しを記者として勤めた読売新聞社を、昭和54(1979)年に自主退職する前後をうたった歌群である。「サラリー」の歌には、「辞めようと思つたことは幾度かあつたが」と詞書がついている。

 早朝の勤務に来り点すとき傷みのごとく光は走る
 詠嘆に訣別なせと迫りたる人をはるけく思ひ出づるも
 俊敏に時流を見分けゆくことをある時点より厭ひはじめき
 返したるわが身分証しばらくは机上にありつ劇のごとくに

 同連作から。1首目はフロアを点すときの蛍光灯のわずかなタイムラグが見えてきて、なるほど傷みはそうやって来るなと思う。集中の他の歌からは、もちろん記者の仕事に達成感や誇りを持ちながら働いていただろうことも窺えるのだが、やはりどこかに違和を抱えていたという感覚がここでは前面に出てくる。「俊敏に時流を見分け」てひっきりなしに舵を切り続ける記者の自分と、歌に心を傾注し「詠嘆」を志す私との苦しい二重性。4首目「劇のごとくに」は、退職が端的に机上の身分証に象徴されるシーンがドラマチックだとも読めるし、記者・会社員としての自分が舞台上の役めいていたとも、あるいはそれらを歌にして演出する営みそのものが劇のようであるとも、いろいろ読める気がする。

私は作品という虚と、生活という実の間を往反し続け、その緊張関係のなかで「渚の日日」を作った。 

「あとがき」より

 島田修二の作風は、作者の実人生と歌の視点人物との乖離があまりない種類のものらしい。第一歌集『花火の星』に寄せて塚本邦雄がそれこそ苦々しく歌と作者の経験の虚実について書いた小論「星夜の辞」がとても好きで、折にふれて読み返す(国文社の『島田修二歌集』に入っているのでぜひ!)。『渚の日日』で描かれた退職を始めとする境涯が事実に近いのはもちろんなのだけれど、だからといって本書がたんに現実をめぐる歌集だとは思わない。あとがきで著者がいう「作品という虚」「生活という実」の虚実は入れ替え可能だとすら思う。『渚の日日』は〈夢〉をめぐる歌集でもある。
 
 我を生みしこの広辺の塩水を海と呼びつつ恋ひやまぬかも
 水動き砂さだまらぬ渚ゆく路にあらぬを行くはたぬしも
 水漬きつつ死にたる兄よ死なざりし我は戦後の海に佇ちゐる

 「渚の日日」の最終盤から続けて3首を引いた。横須賀に生まれ育ち、海軍兵学校に入学後、広島県江田島で原爆を目の当たりにし、フィリピン沖で戦死した兄を持つ島田にとって、海は生命の根源であると同時に、死を孕む深淵でもある。生者と死者の世界はしばしば二分法的に彼岸と此岸になぞらえられる。が、島田の立つ陸地の端の砂地を、潮はくりかえし侵しまた引く。ここにきて、サラリーの語源たる〈塩〉が海に由来することに思い至り、「すがしく過ぎし日日」の奥行きがいや増す構成に膝を打つ。〈渚〉とは生と死の、詠嘆と記者業の、夢と現の――さまざまな両義性が往還し混じり合う、境界にして包摂的な場所なのだ。

 歌集全体もまた、〈われ〉が立つ〈渚〉という舞台である。

 みづからを展くことなき胡桃くるみ二顆こぶしのなかにせめぎ合ふおと
 水漬きたる軍装おもく泳ぐ夢いくたびか醒む戦後を醒めず
 夢ひとつ現ひとつと歌ひ来て花水木散る庭に酔ひゐつ

 悪夢から醒めて後の現実もまた「戦後」になりきれない夢であり、枝から土へ花水木が落下するの束の間に夢と現はひらひらと入れ替り、自身を堅く閉ざした胡桃をさらに閉じ込める拳のような、入れ子構造のくびきを島田は生きている。酩酊感を伴う現実の〈夢〉性について、徹底して思惟するからこそ、苦い「詠嘆」が読むものに不思議な安堵を与える。

 不可思議の星満つる空に目眩してたまゆらを心豊かにをりぬ
 なかぞらに径あるごとく冬の陽のわたりゆくさへわれをあざむく
 壜あをきなかに溜れる
夕光ゆふかげまもりて戦後三十年過ぐ
 終電に置きて降り来し齢ごろの同じ中年あるいは死者か
 過ぎゆけば耐へ来しことの一面があはれしろがねのごとくに光る
 まひるまをひそかにし飲む酒にして音たてて喉をくだりゆきたり
 旅を来て遭へる想ひの単純に黒き葡萄に指を染めゐつ
 うつせみのすがしく冷えて十二月三十日夜電車待ちをり
 雨降れば甕にしづけく水溜るこの確かさに生きたきものを

 『渚の日日』はめくってもめくってもこの種の秀歌が出てきて、本当はもっと引きたい。8首目もまた「すがしさ」の歌で、歌集の読後感を象徴するような歌だと思う。編年順に収録され、制作年ごとに章立てされた本書には、いくつか歳末の連作があり、どれも好きだ。熱っぽさと気怠さと寂しさと高揚感と懐かしさと、いろんなものがぜんぶないまぜの、あの感じ。今年もあと1日はあるが、あと1日で終わってしまう。壮年の身にそう遠からず訪れるだろう死への距離感とも重なっているかもしれない。壮年に限定しなくても、生きている孤独は、この歌の「十二月三十日夜」によく似ている。酒に音を立てる喉も、葡萄に黒く染まる指も、〈われ〉の身体の一部が、たまゆら〈渚〉性を帯びている。
 
 歌集冒頭の、記者としてアメリカを訪れた一連をはじめ、個々にテーマ論的に深堀りする余地はまだまだあって手に余るのだが、ここでは最後に家族を詠んだ歌を見ていきたい。

 病室の夕昏れどきの寂しさを言ふを聞きをり病まざるわれは
 悩み持つわが青年と並び見る逆光の富士裾ながく曳く
 病むもののこころを知れる若者の帰りしのみに妻の笑へり
 足悪きわが若者が真夜の階くだりゆく音かぞへたしかむ
 真夜中の階上にもの書きながら階下に病める妻をし思ふ

 足に障害を持つ息子と、闘病中の妻に対しては、4、5首目のように空間的な隔たりがあるときのほうが、しんとまっすぐに心が向いている。家族といえど、同じマスには同時に入っていられない将棋やチェスの駒のように、根源的な孤独を互いに抱えている感覚がある。「病むもの」同士の通じあいに入れない構図は、兄は戦死し自らは生き残った負い目とも重なって見える。
 それでも、息子と並び見る逆光の富士は、生者と死者、健康なわれと病者の強いコントラストを帯びて、残酷で、あたたかで、美しい。2首目は『花火の星』の〈足を病む汝が三輪車の影曳きてかく美しき落日に遭ふ〉の変奏と言ってよいと思うのだけれど、この歌では「裾ながく」に海にも似た広大さとしぶとい生命力を感じる。

 わが少女あまた空蟬ひろひ来て他界のもののごとく並べぬ
 かなしきはうからはらから生卵少女割りゐるその母に似て
 様々に言へる少女の
つづまりはフォークギターを買ひくれよといふ
 しげしげと中学生の娘の顔を覗けば頰は横に膨らむ

 対して、娘はしばしば親しげに、戯画的に、あからさまに冗談関係的に描かれるのがおもしろい。「娘が(若いときの)妻に似ている」ことをうたった歌がいくつかあるのだけど、「生卵」の歌は身内に向けて抱く感慨の艶っぽいなまぐささが、べたっと出ていていいなと思う。

 蹌踉と杜甫の家族も従きゆきしこのなまぐさきにんげんの列

 ふつうになぞらえて読むなら杜甫=父=島田だが、杜甫は詩歌そのもののの謂いとも読める。歌人もまた、従うしかない思いで短歌をあてどなく追う、詩の係累にして生身の生活者。島田の歌はたいてい冷静に、インテリジェントに嘆息しているけれど、あなた自身もちゃんとなまぐさいし俗っぽいよ、大丈夫、とちょっと安心する。ふらつきながらも渚の日日は続く。

 渚にて憩へる父をまたぎゆく足弱けれどすでにわかもの

 〈渚〉という境界にして包摂の場所にいる父をまたぎ越す、息子たる「わかもの」。退職の6年前の歌だが、不思議と黙示録めいている。初めて読んだ日のわたしがこの歌集から分けてもらったのは、波打ち際の湿った砂が返す光と、この足取りの〈重たい軽さ〉だった。

引用は短歌新聞社文庫版『渚の日日』(2004年)に拠りました。

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