ポーランド滞在中に本棚を預かっていただくことになった伊舎堂仁さん(@hito_genom)に、その本棚から、何かを読んで書いてもらう企画です。第一回は大滝和子『銀河を産んだように』。
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もしも今目の前に宇宙人が現れて、なのに会社に遅刻しそうでもあったら、我々のほとんどはきっと「ごめんなさい、今ちょっとそれどころじゃないんです」と応えてしまう側だよね……と穂村さんが語るたびに、一方の〈しっかり宇宙人と絡める〉ゾーンの人にはたぶん、大滝和子さんとかが想定されているんだろうなぁ、ということを思う。
であうべき人に出逢いてなきことをしずかに告げる足濡らす波
/大滝和子『銀河を産んだように』
大滝和子。歌集に『銀河を産んだように』『人類のヴァイオリン』『竹とビーナス』がある人。発想がやばい人。笑けるくらい、第一歌集の入手が困難な人。「助走なしでいきなり飛ぶ」と『短歌の友人』で書かれてた人。『宇宙はなんがつなんにち生れ?』を、中家菜津子が猫の写真と一緒にツイートしてた人。〈「現代短歌文庫」に『大滝和子歌集』が加わるのを超待ってます。〉と、「日々のクオリア」でたぶん唯一、平岡直子に丁寧語と「超」を使わせた人。
少数民族の最後のひとりの瞳して玄関先にミルク取りにゆく
『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』の田中有芽子さんと話したとき、「日本狼は「もう」いないし、みたいに諦めないでほしいんです」みたいに煽ったら「和歌山にまだいるって話がありますね」と返ってきて驚い…たと共に、今回の対談でいちばん火花が散ったのってここなんだろうな、と思った。背後にエビデンスが控えている奇想、の気配に触れたというか。
月を踏んだ宇宙飛行士のほとんどが離婚をしたと告げられている
夢想、という言葉がある。君は僕を夢想家と呼ぶかもしれない、みたいな歌詞があり、「信頼できない語り手」みたいな意味がくっついてたりする、うえで、この「夢想」をもうちょいオルタナティヴなものへ捉え直すことを自分はサボっている。
それで別になんとかなるからだ。
地のおもて覆いてくらき鳩の群れを引き裂きながら誰かあゆみ来
でも何かがいる。
摩天楼よりも虚大なトランプの裏面ついに知らないでいよ
高層のビルの窓に額よせてきのうという日みおろす吾は
その広さと、費やされた長時間に「ヒッ」と思う。
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短歌研究新人賞受賞作をふくむ、光と闇の深遠からきこえてくる宇宙感覚にみちた愛のシンフォニー。ページのなかには、あたらしい音。人体と天体とがひびきあう大滝和子の鮮烈な第一歌集。
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と帯紙が書いてくれているところ申し訳ないのだけど、自分は「宇宙」、短歌に出てくる天体や恒星、昏さに遠さに手の届かなさへ集中力を保てない。初対面の人に、さらに友人を紹介されている気持ちになる。
グレゴリオ聖歌みどりに編曲し宇宙牧師がつまびくギター
まずあなたを知らない…となる自分のような者に、宇宙「感覚」とはうまい言い回しだな、とまず思う。この人の「感覚」をあなたのそれ、で感覚してみては? と言っているわけだ。つぎつぎとそういう歌が現れる。
地球からいちばん遠き星の名にふさわしきかなマリリン・モンロー
【地球から一番遠い星の名前を、教えてください。】という「お題」と【マリリン・モンロー】との距離、解答の速さをたいへん見えやすくしてくれているこういう歌をやさしいチュートリアルにし、
パソコンのZたたけり にんげんを必要とする動物すくなし
こんな歌へ近寄っていける、嬉しさの歌集としても『銀河を産んだように』は受け入れられる…と思う。
ああ転機おとずれざるか蟻地獄棒で破壊し立ちあがりたり
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。
被害者と加害者のあいだ往き来するブランコ乗りの少年ひとり
でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
プラトンはいかなる奴隷使いしやいかなる声で彼をよびしや
なんでそんなことをするんだろう。どうしてこんなことを考えるんだろう……と思い、思いつつ笑うとき、そこで起きているのは「この人」を〈わたし〉から「他人化」する動きである。他人は「自分」ではない。そしてその「自分」ではないなにかを、嫌うでも、仲間へ引き込むでもない、〈自分にワンバウンドさせる〉ができるかどうか。(笑い声 は、このとき体から出る音であると言われている)
平行四辺形の女がやってくる 並木道を泣きながら
さわって怪我をしない「球体」ではないことや、踏み台になら使えるのではないか,と考える者へは「グラグラする」という仕打ちの待っているこの図形の者がしかも「泣きながら」やってくる、ということを思う。『銀河を産んだように』の向こうから来るのは、福音を授けにくる「他人」ではないかもしれない。
だとしても?
めざめれば又もや大滝和子にてハーブの鉢に水ふかくやる
「惑星」や「光年」、「オリオン」に「異星の友」という語句で溢れる『銀河を産んだように』へ、「伝票のファイル」や「小田急線」、「片瀬郵便局」に【鉄筋は罠のごとくに組まれありやがて棲むべき家族を待ちて】【ちょうつがい錆びつつ笑う たれもたれも定住という罪をつくりて】が含まれているのを知ることで、読みに持ち帰れる鳥瞰図がある。
相対性理論を習うまなざしの二億秒まえ飼っていた猫
「天文台学術員」「占星術師」「膨張宇宙論科学者のハッブル」なんて、〈宇宙人とちゃんと絡める〉どころか異星への移住…の際頼ろうとしている業者さんかのような距離感の置かれ方だ。
「高層のビル」や、先に挙げた「鉄筋」に「定住」「摩天楼」なども、単に生活者としての描写を越えて、離星前の地球調査のような色あいを持って読み手の前へ現れる。
異星人にも野球伝われ ピッチャーの血つくボールは地球のレプリカ
球体のものはあやうくうつくしくピッチャーの手を離れねばならず
は、ラストの「白球の叙事詩」の歌でこれは必見の連作なんだけど(岡井隆の解説で書かれるこの連作へのとある補足情報の、「〈この星〉と大滝和子」とで起きていた一瞬の邂逅のようなその出来事にはドトールの店内で声をあげてしまった)、離星前のこの人がこの星から持って行こうとしたのが「野球」であった…ことの、たとえば『レベルE (冨樫義博)』のディスクン星人や『メン・イン・ブラックⅢ』のグリフィンらとの一致には震えそうになる。
……じゃあ「マジ」なんじゃねぇの? というか。
以下、10首選。
被害者と加害者のあいだ往き来するブランコ乗りの少年ひとり
フルートの音にかぎりなく許されて咲きはじめゆく唇ひとつ
球体のものはあやうくうつくしくピッチャーの手を離れねばならず
異星人にも野球伝われ ピッチャーの血つくボールは地球のレプリカ
パソコンのZたたけり にんげんを必要とする動物すくなし
月を踏んだ宇宙飛行士のほとんどが離婚をしたと告げられている
相対性理論を習うまなざしの二億秒まえ飼っていた猫
を下さい・へ行かしてよ・に成りたい バベルの塔の形うつくし
噴水のそばで来ぬ人まちながら諺ひとつ作りましょうか
トンネルを走る車窓にうつりたる自分が異性にみえる時あり
僕も待ってます!